Re:心のリールは回っているか

パチンコに関することを掘り下げていくだけのブログ

奥村遊機の残滓①

2015年4月14日

 

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あれは、そう、前日や当日の朝にそんな噂はあった。しかし、完全なるガセ情報。そう判断していた。Twitterにも今ほど業界人アカウントは多くなく、確か業界的に著名なライターが業界激震的なことをツイートしていると人づてに聞いた。これは件の日より前日から前々日だったと記憶している。

 

 

奥村遊機株式会社

破産手続開始申立ておよび開始決定に関するお知らせとお詫び

当社は、平成27年4月14日、名古屋地方裁判所に対し、破産手続開始の申立てを行い、同日、破産手続開始の決定を受けました(事件番号:平成27年(フ)第526号)

 

 

あれから丸4年。最早、奥村のパチンコを探して打つのも困難な時代になってしまった。

 

しかし、2019年においても残された奥村の機械を遊び、面白さを伝えようとする人がいる。私も奥村信者の端くれとして【コラム】奥村糞台ベストナイン : 心のリールは回っているかなどを書いてきた。まぁ、これからも機械に関する評論は地下に潜伏した奥村信者達がコンスタントに読み物を提供してくれると嬉しい限りだ。

 

だからこそ、私は人柱として切り口の違う「奥村道」を書こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新連載

 

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ルーツを辿る

奥村遊機という会社がどういった出自なのか気にはならないだろうか?

 

創業者は奥村昌美という人物だ。

 

私は根暗ネット弁慶らしくインターネットの海から集めた真偽不明の情報を整理したかったのだがあまりにも情報が少ない。

 

何かで聞いたのだが奥村はパチンコの父と言われる正村竹一の直参という話。誰に聞いたのかも覚えていないという体たらく。

 

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パチンコの父 正村竹一

 

 

調べてみても

 

「奥村一族はパチンコを知らない全くの素人」

 

というのもあれば、

 

「正村竹一氏、藤井正一氏らと共に、名古屋のパチンコ界をリードした重鎮」

 

というのもある。

 

なんとも真逆の情報しかないのはどういうことだろう。とんでもなく曖昧な時期を曖昧な地域で会社として成長したということなのか。基本、正村竹一との繋がりは出てこない。

 

埒が明かないので正村サイドの文献を探ってみる。

 

1951 年頃から、正村機械を導入し たホールには、各機械の球の放出量を記録した「統計表」を作成させ、それに基づいて竹一 自ら釘の締め・開けを指導した。そのなかでも弟子入りした人たちは、釘調整の技術を伝 授され、正村機械の代理店として開業していった。正村が自ら資金供与を行って開店するケ ースもあった。

1950 年代におけるパチンコ産業発展の胎動 ―日常娯楽の事業化への道―より引用

 

ご存知の通り正村竹一は丁稚奉公で弟子を鍛え、支店を出させて独立させる。それが現存する名古屋メーカーの多数を占める……みたいな話は聞いたことがあると思う。

 

1947年創業の奥村遊機は1950年に遊技機メーカーになったそうだが、時期的にはこの弟子を取る時期とリンクしていなくもない。ただ既にホールとして数年前に創業しているため、そんなことするか〜という気もする。資料見ると基本的に当時のホールは非常に小規模だったことが伺える。

 

この頃のパチンコ店は規模は一店あたり平均20台から30台が普通。

岐阜県遊協50年のあゆみより引用

 

1952年には3階建180台の店もあったそうだが、小規模でチマチマやってても…ここは一念発起で弟子入りのセンも十分ありそうだ。

 

 

さて、1979年創業のサンセイは除き、正村一門外のメーカーよあぶり出すことができればと思っていたが、これはわからない……

 

 

 

 

では民団愛知から出ているものでホール企業が中心ではあるもののパチンコ販社社長が書いた1940〜50年代の名古屋パチンコ界隈の回顧録を読んでみよう。

 

 

一方、パチンコメーカーは中小零細ではあるが、続々誕生していた。現在巨大企業とな ったメーカーとして、 1948年モナミ商会(現三洋物産)、 1949年丸新物産(現ニューギン)、  1950年マルホン工業、 1951年マルト商会(現豊丸産業)が創業している。

名古屋パチンコ物語から引用

 

事細かに通名を使わぬ本名で創業時の状況を書いてある。

 

ここ書かれているメーカーは中小零細とある。今太閤とまで言われた大遊技機メーカー正村の直参であればこんなぞんざいな扱いはされないと思うので、無関係とも言えないが直参ではないと思われるメーカーなのか……?

 

などとも考えたがそんなわけもなく。(当たり前)

 

当時の台のゲージは正村ゲージそのものであり、ニューギンは正村の支店とも言われている。

 

 

ニューギン、大一、京楽、高尾、奥村

 

これらは正村の支店という説がまことしやかに語られている。

 

まぁ本当に関係なしと裏の取れてるメーカー以外は何かしら師弟ないし、取引、代理店などで関係があったというのが自然だろう。先述の民団の回顧録には正村は登場していないものの、

 

人種差別をせず、「(正村の)パチンコ台が欲しい」と云えば、日本人・外国人分け隔てなく販売した。

 

という言い伝えを信じれば弟子にも人種の差別はなかったのではないか。

 

 

実際のところ

 

全くの奥村がパチンコにおいて素人だったということはまずないし、本当に正村の直参で名古屋パチンコ界隈での重鎮だった可能性の方が高いのでは。

 

 

 

余談であるが奥村が銀座でポルシェをはじめとした外車ディーラーをしていた話も聞いたことがある(Wikipediaにも記載されている)。

 

娘(?)は化粧品会社も経営していたようだ。

 

こういった多角化経営も、連発式禁止以降に低迷した正村商会新潟県赤倉温泉のホテル事業で経営を持ち直したという事例から来る正村リスペクトによるものだと妄想するとまた趣が深い。

 

何か資料が手に入ればつづく…

(了)