Re:心のリールは回っているか

パチンコに関することを掘り下げていくだけのブログ

セットポジションと私

私はセットポジションが嫌いだった。

 

高校一年生で投手を始めた時、理由もなくワインドアップで投げていた。

 

今考えれば野手がステップなしで投げるという場面はあまりない。予備動作がないと心細かったので苦肉のワインドアップだったのかもしれない。

 

投手をしていればランナーを背負う場面は必ずくる。セットポジションとクイックモーションを強いられるのだ。

 

セットポジションで投げれば著しく制球は乱れ、球威が落ちた。

 

 

あー!なぜこんな不自由で投げたいよう投げられないのか!

 

ヘイトを溜めて投手というポジションが嫌いになり、野手に専念したいと思うばかりだった。

 

老害と化した今なら分かる。

 

セットポジションで投げることは他者への配慮でありチームへの貢献であると。

 

自分以外のプレイヤーがプレイしやすいように、点を奪われないためのチームプレーであると。

 

勝利というゴールへの献身であると。

 

 

 

 

 

ところで

 

1998〜2000年の投手理論は昭和的迷信が一定以上シェアを占めていた。だが、一気に科学が流入した期間でもあった。

 

ピッチングの正体

ピッチングの正体

  • 作者:手塚 一志
  • 発売日: 1998/05/01
  • メディア: 単行本
 

当時はネットがないので情報の伝播は緩やかであったが、アーム式からスパイラルリリースへの転換である。

 

当時の感覚で極端に言えばシュート投げるのかな?というような投げ方が市民権を得るまで時間を要するのだが、私の投球にもそこそこの効果をもたらした。(コントロールがとても良くなった)

 

 

 

 

さらにプロ野球では、とある新人投手の台頭である。

 

 

 

 

 

 

 

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上原浩治投手

 

である。

「雑草魂」という昭和的投手の権化とも言えるマインドでシーズン20勝。ちなみに写真は20勝目の登板での名シーンである。

 

ノーワインドアップの早いテンポでビジバシとコーナーを突く投球は自分にとって非常にエポックメイキングだった。

 

私の心の奥底にあった「本格派はワインドアップ」という固定観念が崩れたわけである。すぐにノーワインドアップに転向し、気づけばセットポジションでも不自由さはそれほどなくなっていた。牽制のバリエーションが少なくて苦労したが。

 

 

「ピッチングの正体」による科学の流入上原浩治のピッチングスタイルや雑草魂マインドのおかげで投手をドロップアウトせずに高校野球を全うできた。

 

この体験は

 

科学と魔術が交差するとき、物語は始まるーー!!

 

そう、あのパチンコ機に似ている。ミドル市場の一角を担う覇権コンテンツ………

 

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とある魔術の禁書目録

 

である。申し訳ない。まだ打っていないのでネットの海から拾ってきたとある魔術の禁書目録の激アツ予告画像で失礼する。本当に申し訳ない!(><)

 

 

前回遊タイムの使い方を偉そうに講釈垂れたのだが、一つの指針として「とある」の遊タイムの使い方はどこで当たっても一応フェアでユーザーが納得するのではないかと思う。

 

 

不公平、不条理、不合理な世の中だ。

野球もパチンコも中身はともかく見た目はフェアなスタートラインで勝負が始まることは重要ではないか。

 

そうでもないとやってられない日が人間にはある。

 

(了)