Re:心のリールは回っているか

パチンコに関することを掘り下げていくだけのブログ

ドラムエヴァ改善案①

【ドラムは宗教戦争

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ということでどらむ☆ヱヴァンゲリヲンPINK(以下ドラムエヴァ)記事の第四弾である。どんだけ好きなんだよと言われそうだが仕方ない。

 

さて、ドラムエヴァの熱狂(?)から離れ、時間をおいて考えてみると私は非常に狭い教義で言論を振りかざしているだけなのではないだろうか。

 

ドラムは宗教戦争だ。情報量の少ないアクション、演出を偏愛するが故にどうしても考えは偏り、争いは生まれる。

 

己の信ずる教義を振りかざし、隙さえあればマウントを取りに行く。そんな不毛な戦いに身を投じているのかどうかはわからないがドラムに対する解釈は千差万別だ。

 

私のバックボーンはF.クィーン(2014)をベースに考えている薄っぺらいものである。脆弱。しかし、唯一絶対神とは言えないまでも、クィーン面白いぢゃん?完成されてるぢゃん?

CR以前の裏死海文書みたいな機種を知らない私たちとってはクィーンが旧約聖書、ガオガオキングが新約聖書だ。

 

そもそも、

 

"エヴァとクィーンを同じ土俵に上げて批評すること自体がナンセンス"

 

というのもごもっとも。賞球もスペックも違うのだから。しかし、エヴァの方からドラム界に来たのだ。

 

液晶機や稼働役物で多種多様、自由自在にできる表現を捨てて、あえて限定的な表現しか出来ないドラムに鞍替えしたにも関わらず、液晶機の演出をトレースしただけでは緒方恵美も草葉の陰で泣いてるよ。

 

ギャーギャー言うだけでは建設的ではないので改善案を提示していきたい。

 

 

【訴求すべき客層と図柄】

 

ドラムエヴァ

 

・ライトから甘スペック

・通常時8個保留

 

という動きそうな素地はあるが、液晶機からドラムに変わるにあたり、どこに訴求すべきなのか。

 

「ドラムだから高齢者も打つ」とかそんなことを言いたいのではない。そんな受動的なものでは既存のコンテンツで十分だ。

 

エヴァをドラムにする上で能動的に訴求すべき層はどこなのか、それが問題なのだ。

 

パチンコ遊技者、もとい市場はどんどんマニアックになっていく。ネット社会の弊害でもあろうが簡単に情報収集はできるし、それを精査し、知識を蓄える。興味さえあれば安易にオタク化する一億総オタク時代なのだ。それは言い過ぎか。

 

故に

"万人に受ける"

ような浅く広い作りではすぐに飽きられる。

 

ドラムエヴァの万人に受けを狙う可愛いというよりあざといデザインは英断に見えても時流に逆らっている。

 

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かつてパチンコにおけるエヴァンゲリオンは先駆者であり、革命家であった、と思う。

暴走モード、次回予告、突発……パチンコにおける演出表現をリードしてたのは間違いなくエヴァだった。

 

なので

 

ドラムをドラムと捉えない勇気

 

を持つべきだ。

 

何が言いたいかというとドラムというよりリール。

 

つまり、パチスロ寄りにするべきだったのではなかろうか。

 

訴求すべき層は

 

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この辺を打ち込んだ層に絞れ。

 

 

現状ドラムエヴァにおいては7図柄が6種類と暴走用の1.3.5図柄、ミュージックチャンス図柄と用意されている。 

 

が、その意味合いとして強弱は感じられず結局、図柄以外の他の要素を待つしかないのだ。ということで、まごころや約束のリスペクトで

 

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左リールにこんな図柄があれば1確目やチェリーを使った先読みや擬似変動などゲーム性の幅が広がる。

 

他にもスイカや強スイカなどの図柄でパチスロのゲーム性を落とし込めないのだろうか。

 

じゃあスロット打てや

 

というのは無粋である。10年前の古き良き、ノーマルの雄エヴァを再現して懐古厨を囲いたいのだ。うるせぇ

 

 

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どうしてもというなら、これ打てよ。

 

他にもみんなで改善案を考えよう。それが実現するのがネット社会でもあろう。

 

 

ドラミビリティ

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今年はドラム機が増えそうな気配を感じる。特に版権モノだ。

 

とはいえ、ドラムユーザーの支持を受け、メーカーが能動的にドラム機をリリースしているわけではない。

 

先日のどらむエヴァンゲリヲンPINKのレビューでも書いた通り、液晶機でパッとしない不振気味のコンテンツが目先を変えるためにドラムになっているに過ぎない。なので私のような偏った考え方の老害はこう思う。

 

"ドラムはドラムとしての魅力を放棄して、液晶機の猿真似を強いられるジャンルに堕ちた"

 

私のような老害はそう考えたりしている。心底気持ち悪かろう。

 

 

 

 

"ドラミビリティ"

 

ドラムへの情熱を私はそう呼ぶ。以下はボケ老人の妄言として読み進めていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

色の概念

液晶機のみならずパチンコ全体における演出のインフレが止まらない。

 

"赤が寒い"

"金でもハズれる"

 

こういったことが日常茶飯事のようになってから久しいし、もはや慣れてしまっている自分もいる。

 

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戦犯歌姫(ギルティディーヴァ)

 

 

ドラムエヴァエヴァ系リーチに発展すると透過のATフィールドがけたたましい音を上げ赤く発光する。最初に見たときは

 

"これはチャンスアップやろなぁ"

 

と思っていたものの、そのうちにデフォだと気づいた。そうかデフォか…やはりこの台の根底はどう転んでも液晶機のエヴァシリーズなのだ。

 

 

ドラムにおける色の概念は液晶機と同じにしてはいけない。

 

現在においては様々な色彩をドラムに表示できるとはいえ、ドラム機における"赤"は液晶機の赤とは役者が圧倒的に違う。わかりやすく言うと鈴木尚典鈴木尚広くらい違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木尚典

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首位打者2回

ベストナイン2回

1998年日本シリーズMVP

 

 

 

 

 

 

鈴木尚広

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ゴールデングラブ 1回

通算228盗塁

 

 

 

 

 

何もなくてもたまに当たる。

青でも当たる。

赤は結構当たる。

 

 

ドラムの色はこのバランス…いや、掟、ルールにおいて成り立っていて欲しい。崩すくらいなら液晶機で良いのだ。つまりドラムエヴァは液晶機のルールやバランスをドラムに持ち込んでいるならず者とも言える。

 

 

 

 

物質感 

ドラムは目の前に物質として図柄が揃う。それは液晶機とは一線を画す事象であり、そこにある圧倒的な存在に魅力を感じる。

 

ドラムにも色々なデバイスが搭載されていく。爆死したグレート・ザ・キングでお馴染みのダブルリールであったり、透過液晶であったり。華美なものが付け加えられていく。それはそれでゲーム性として成り立つのなら良いがどうしても液晶機寄せたオプションであることは否めない。

 

つまるところドラムに液晶でできることや、液晶のルールを持ち込むべきではないと私は思う。液晶との差別化しないのならそれはドラムではなく、液晶機の廉価版、劣化版なのだ。

 

自分とガラスを挟んだ先には液晶ではなく、物質として存在する図柄がそこにある。

 

ドラミビリティとしてそこを掘り下げないのであれば液晶の下にドラム風の役物を付ければ済む話なのだ。

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スロットにインスパイアされた機械ならばこちらの方が潔い。

 

 

ドラムに対する考え方は千差万別である。色々な考え方があるのは重々承知している。

 

版権モノのドラム機は増える傾向にあるが、"液晶機の皮を被った"という枕詞のついたものが多くなりそうだ。

 

私は抑えきれないドラミビリティが体から溢れ出している。そして、今日もどらむエヴァンゲリヲンPINKに台パンしている夢を見る。

 

 

(了)

どらむエヴァンゲリヲンPINK レビュー

 

我々は様々な固定観念を持って生きている。

 

それはパチンコにおいても同じだ。

 

超有名な版権モノをドラムにすることを愚行と呼ぶのか否か。人によってバラバラであるが、少なくともパチンコにおける固定観念からは逸脱した挑戦だということはこんなニワカな私にでもわかる。

 

液晶を削ぎ、役物を削ぎ、エヴァンゲリオンというコンテンツは試合前のボクサーにように研ぎ澄まされ、そして鬼が宿る。

 

自分でも何を言っているかわからない。

 

だが俺は打たなければならない。打ってこの狂って腐ったこのエヴァンゲリオンシリーズの墓標「どらむエヴァンゲリヲンPINK」に惜別の花を手向けなくてはいけないのだ。

 

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初打ちの感想だよ

キモくてすまん。レタスだ。

ということで「どらむエヴァンゲリヲンPINK」(以下ドラムエヴァ)を初打ちしてきたので完全に主観込みで感想を書いていく。

 

まずはドラムとしてリリースされている以上は既存のドラム機との並列の比較となる。

 

ディスクアッパーではないが、積極果敢にドラムを打つドラマー(赤面)として一番近い感覚なのは「CRドラム海物語」だと感じた。

 

というのも、演出面のみならず通常時8個保留、ショートST+時短とスペック面においてもドラム海物語の気配を感じた。となると、8個保留を活かした先読みなどの演出群になるのは自明の理というところか。

 

 

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レイ背景は透過液晶(ハート様の写り込みにはご容赦ください)

 

 

早速結論から書いてしまうが、ドラム海物語を打てる人には全く問題なく打てるだろう。

 

演出含めた打感からしても煽り等のガチャつきもドラム海で許せていた範疇なのだ。なので、8個保留でサクサク回りさえすれば何も考えずに打てて、おバカな私向きの機械であるようにも感じた。(回らなければ地獄だが)

 

 

 

 

しかし、既存のドラム機と比較したものの、これをドラム機とカテゴライズするべきかどうかは意見の分かれる点であろう。

 

この機械はドラムの役割よりもサウンドの役割が非常に強いように感じた。キャラクターの声や効果音、これらによってエヴァの世界観、まるでエヴァ系リーチが液晶がないのに再現されている錯覚に陥る。

 

つまり液晶がないのに音声で液晶演出を再現しているように、根本にあるのは液晶機のエヴァなのだ。

 

ドラムでエヴァを作るわけではなく、液晶機で不振なコンテンツの目先を変えるためだけ。ドラムの魂を感じないと思うドラマーがいるかもしれない。

 

まだ打ち込みが足りてないため、これから如何ようにも評価は変わると思われる。割とTV版に寄せたサウンドでリーチを演出している点は老害としては嬉しい限り。

 

最後に"時短の煽りは酷い"ということを心に留めておくと精神衛生上良いのかもしれない。

 

そういう伝統を踏襲するのはやめろよマジ。

 

 

(了)

 

 

ドラムと化したエヴァンゲリオンに見るドラム論

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既報の通り、「CRどらむ☆ヱヴァンゲリヲンPINK」が正式にリリースされることが発表された。

 

 

 

livedoor時代の記事にあるのだが

 

ーそれではクソイラつく液晶演出と決別した時、リリースされるであろうCRドラムエヴァンゲリオンでお会いしましょう。ー

 

http://kokoronoreel.blog.jp/archives/1062136973.html

 

と書いたものの本当にやるとは思わなんだ。フリじゃねーぞ。

 

 

 

 

エヴァをドラムにする意義を考える

試打動画を見て思ったが、サウンドやロゴなどは割と昔に寄せているものの、やはりド派手なドラムアクションがメインだった。エヴァのスピンオフというよりはCRF.祭り・ザ・キングの後継機にも見える。

 

私は決して派手なドラムアクションが嫌いではない。前のガオガオキングはサウンドとマッチしているので派手な割に好きだ。

 

とはいえ、やはりクィーンに勝るものはない。エヴァをドラムにする意義とはシンプルに仕上げるところにあるのではないか?

 

失われたエヴァの魅力とは静寂の中に突如訪れる激アツ、その刹那にこそあるのだと私は思う。

 

ならば、特殊なサウンドや派手なドラムアクション=熱いといったバランスにしてくれまいか。通常変動から全消灯して暴走などしてSFの頃を思い出させてくれまいか。

 

でなければ液晶機と何を差別化したというのか。

 

 

 

 

 

版権モノとドラム

 

若い人には馴染みがないが大人気タレントのユンソナのドラム機があったりしたが、版権モノをドラムにする意味はなかなか見出せない。

 

 

 

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ただコブラザドラムは良い。好きだ。愛してる。何故だろう。コブラ自体好きなのもあるが、原作踏襲というより、この機械はとにかく突き抜けて明るいのだ。

 

 

 

 

 

コブラッキーwww」

ギュインギュイン(天運ボタンクルン)

 

 

 

これがコブラザドラムだ。

 

エヴァコブラのようには恥やプライドは捨てられないような気がする。つまり原作の世界観を捨てる覚悟をドラム機は求める。

 

エヴァぐらいの大物になると、液晶機の方がいいんじゃねーのという意見も多そうだがあえて切り口を変えて挑む「CRどらむ☆ヱヴァンゲリヲンPINK」に如何なる意義、意味、存在を見出すのか、打ち手として楽しみだ。

 

 

(了)

美味しんぼは第6巻だけでパチンコ化できる

 

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グルメ漫画の金字塔、美味しんぼが休載して今年の5月で4年が経った。私の好きな漫画作品の1つであるが、既刊111巻全てが好きというわけでもなく温度差は確かにある。

 

私は山岡士郎が飲む打つのクズアウトローだった一桁巻の頃が好きなので美味しんぼのパチンコ化するなら序盤だろ原理主義に属している。

 

ということで今回は全人類待望の美味しんぼパチンコ化について言及したい。

 

既刊111巻。豊富すぎる素材を持つ、美味しんぼをパチンコ化する上でオーソドックスかつ、石橋を叩いて渡るような演出のテンプレートを作るのであれば外せないエピソードは存在する。

 

例えば、名前は伏せるがビスティが作るとするならどーせ

 

究極対至高リーチ

 

ストーリーリーチ「豆腐と水」

 

副部長が機種説明

 

ラーメン三銃士の悪質なコラ

(BiBiっとポイント三銃士を連れてきたよ)

 

ファイナルインパク

 

 

など、私のような素人でも考えつくような上辺だけのチョイスになりそうだ。しかし、これは美味しんぼという作品の本質を押さえていないのではないだろうか。

 

 

 

 

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というか今さら「豆腐と水」とかやっても仕方なくない…?みんな何百回も読んでるでしょ?

 

 

美味しんぼにはいわゆる様式美というものがあり、

 

山岡士郎がグルメの間違った常識に噛みつき相手を晒し者にする

 

というテンプレがある。

 

寿司にイチャモンをつけた挙句にCTスキャンでシャリの断面を撮影して職人を晒し者にする山岡士郎こそ本物なのだ。

 

 

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そして海原雄山の存在だ。美味しんぼはこの海原雄山が巻を重ねれにつれ、何故か人格者になっていく。しかし、序盤は山岡士郎の実父ながら宿敵かつ老害というポジションを確立している。

 

・フランス料理店で鴨料理のソースをこき下ろしをわさび醤油を持ち込み

ハンバーガーや冷やし中華に対する偏見と手の平返し

 

などなど……

この頃の海原雄山こそ海原雄山だという人は少なくない。整えられた舞台での対決以外で本当の海原雄山に出会えるのだ。

 

 

 

 

 

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つまり、上記の条件をしっかりと網羅した

 

美味しんぼ第6巻だけでパチンコ化は成りうる。

 

まず着目すべきは2、4、6話で晒し者パートを補完していることだ。

 

2話「卵とフライパン」では若者の作ったオムレツをオムレツ専門の名店に持ち込んでその未熟な腕を晒す。(改心するんだけど)

4話「真冬の珍味」ではカラスミをありがたがるグルメな連中にイカの塩辛で司会者の無知を晒してドヤ。

6話「日本のコンソメ」では吸い物批判にムキになって超能力を使わせて無知を糾弾し、晒す。

 

これは晒し者パート三銃士とも言える素晴らしいラインナップであり、他の巻と比べてもトップクラスの晒しっぷりだ。

 

 

さらに6巻の海原雄山老害パートが秀逸だ。特に山岡士郎の未熟さを戒める方向に向いている時の雄山は雄弁で独特の間に美しさすら感じる。

 

第7話「牛肉の力」、第8話「究極の作法」は美味しんぼファンの中にも刻み込まれる老害戒め回である。

特に「牛肉の力」は

 

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美味しんぼ第6巻より抜粋

私は

あの中からは選ばない、

絶対に。

 

 

この理不尽が海原雄山。雄山を噛み締めろ。(牡牝を見分けられないことが論点なんだけどね)

 

 

ということでパチンコ化の演出における基本線は6巻としておけば美味しんぼの本質を押さえた作品に仕上がるのではないだろうか。

 

最後に渚カヲル的プレミアムキャラ

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クリス・ヴォーンも6巻に登場することをお伝えして美味しんぼのパチンコ化を待ちわびる。

 

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(了)

 

 

 

もうこれ以上先に進めないのか

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ライフワークである浜崎あゆみ物語考察が手詰まりになってきている。実機がほぼホールにない今、私たちは想像力を働かせることでしか物語の深淵を覗くことができない。

 

そんな現状に耐えうるのか。答えはNOだ。

 

そのためには決断しなくてはいけない。

 

 

 

 

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浜崎あゆみ物語-序章-

https://ncode.syosetu.com/n8670eu/1/

 

濱崎れたすペンネームでなろうデビューした。

 

ストーリーがないなら作るのみ。ノベライズ計画スタートである。

 

あと、一発芸だからもう書かないことも察してほしい。

 

悪魔の証明は神への冒涜だった

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日中は結構な時間、ラジオを聴いている。

 

ほとんどはニッポン放送、ライオンズの試合がある時と土曜の夜は文化放送のハイブリッドだ。

その日も惰性で聴いていると懐かしいワードが心に引っかかった。

 

ケータイ小説!!

 

あー懐かしい。

 

10年ほど前に流行ったケータイ小説だが読んだことはあるが覚えている作品は……あまりない。ヤングマガジンで連載していたDeep Loveくらいだろうか。話は全然覚えていない。

 

Deep Love REAL(2) (ヤングマガジンコミックス)

Deep Love REAL(2) (ヤングマガジンコミックス)

 

 

 

しかし、なんとなくイメージしているものはある。

 

うまく言語化できないがWikipediaには以下のようにあり、特徴を上手く捉えているので引用する。

 

短絡的・類型的なストーリー展開、語彙の少なさや文章表現の稚拙さ、投稿される際の推敲の不十分さ、安易な性的・暴力的描写など  

Wikipedia ケータイ小説の項より

 

私のイメージしているケータイ小説とはこれに近い。そもそも会話だけで作品が成り立っており、とても読みづらかった印象だ。

しかしながら、1つのブームを作ったのは間違いなく事実であり、なぜ現代社会において衰退してしまったのか理由は定かでない。

 

久しぶりにそのワードを聞いて連想したものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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浜崎あゆみ物語-序章-である。

 

安易な不幸の連鎖、枕営業を匂わせる性的描写…この短絡的なストーリー展開はまさしく

 

粗悪なケータイ小説

 

そのものではないか。

 

ケータイ小説全盛の08〜09年頃に企画され、粗悪なケータイ小説シナリオを摑まされたのがフィールズだとすればこの説は十分な説得力を持つ。

 

つまりパチンコ化の出来に激怒した浜崎あゆみが、本当に怒り狂うべき相手は物語を不幸のテンプレ化するケータイ小説市場だったのではないか?

 

 

 

神への冒涜

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ケータイ小説を調べていくと、浜崎あゆみというアーティストの域に収まらない大きさを知ることになる。

 

 

ケータイ小説の中でも一番にヒットした作品「恋空」を例に挙げると、この作品には恋人との死別、レイプ、妊娠、流産、リストカット、DV、地元のつながり、ドラッグなど、ケータイ小説の定番ともいえる要素が全て入っているのですが、それに比べ“固有名詞”がほとんど登場しません。

 にもかかわらず、なんと浜崎あゆみ」というアーティストとその曲名は、“実際の名前”で登場します。このことは恋空だけでなく、他のケータイ小説も同じ。

 

引用元

あれから10年、「ケータイ小説」が急速に廃れた理由とは? 現役女子高生に『恋空』を読んでもらった

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1707/18/news029.html

 

 

 

 

引用元コラムでは

ケータイ小説浜崎あゆみの世界観に感銘を受けて執筆した人がほとんどではないか」

と考察している。

以前、私もコラムで触れたように

歌詞の特徴として『抽象的な表現』が多いことが挙げられる。感受性豊かなティーンエイジャーにはピンスド、聴く人に考えさせる、人によって解釈が違うというタイプの歌詞であり、まさに『女子高生のカリスマ』を体現したものであろう。

本ブログBistyの怪作「CR浜崎あゆみ物語序章」は如何にして構築されたのかより

 

浜崎あゆみの歌詞の抽象的な世界観が浜崎あゆみ物語を構築していると考えている。

 

粗悪なケータイ小説浜崎あゆみ物語のシナリオどころの話ではなく、

 

ケータイ小説浜崎あゆみであり、その世界の唯一絶対神にして不可侵の概念だったのだ。

 

悪魔を証明しようとして私は神を暴いてしまった。

 

 

不可逆的な事象を抽象的な詩で歌う代表的アーティスト浜崎あゆみの現在の姿に

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時の流れを感じるかもしれないがそんな女性たちに、是非とも浜崎あゆみ物語を打ってもらいたい。

 

これは2000年代後半へ生きた女性たちへの聖書でありクルアーンなのだ。

 

(了)